東京高等裁判所 昭和50年(行ケ)116号 判決
原告 伊藤美佐雄
被告 静岡県選挙管理委員会
〔抄 録〕
(二) 本件第二号投票について。
本件裁決が本件第二号投票をもって候補者の何人を記載したかを確認し難い無効投票であるとしたことは当事者間に争いがない。これに対し、原告は右投票を原告に対する有効投票とすべきものと主張する。
1 先ず、原告は本件第二号投票の冒頭の第一字は「い」の字の書損じとみられる旨主張する。しかし、検甲第二号証をつぶさに検討すれば、本件第二号投票の冒頭の第一字は「か」と判読するのが適当であり、これを「い」の字の書損じであるとは認め難く、右投票は右側に「かとう」と書き、その左側に少し下げて「みさお」と書き、明瞭に記載されていることが認められる(右投票が二行に分けて書いてあることは当事者間に争いがない。)。それ故、原告の前示主張は採用できない。
2 次に、原告は本件第二号投票を「かとうみさお」と判読すべきものとしても、これを原告の氏名である「いとうみさお」を誤記したものと解すべきであると主張する。
(1) ところで、本件選挙の候補者のうち、本件第二号投票の記載と氏または名が一致する者を便宜ひらがなで表示すると、「かとうまさはる」(加藤正春)、「かとうこずえ」(加藤梢)、「かとうゆたか」(加藤寛)、「いとうみさお」(伊藤美佐雄((原告)))の四名であること、「いとう」という氏の者は、原告、「いとうはるじ」(伊藤明次)、「いとうきんぺい」(伊東金平)の三名であることは当事者間に争いがない。これら候補者のうち本件第二号投票に関連するのは前の四者であって、後の三者は右投票との関連性が薄いから、一応考察の圏外においてよいであろう。かくて、本件の問題は、本件第二号投票が右四名の関連候補者群のうちの何人を記載したかを確認し難いとすべきか、またはそのうちの特定の候補者を指称するものと認めるかという形に具体化されるのである。
(2) そして、本件第二号投票の「かとうみさお」の氏の部分のみを切離して考察すれば、加藤姓の三名の候補者に結び付くが、他方名の部分のみを切離して考察すれば原告に結び付く。しかし、人を特定するのに氏と名を用いる社会において、ある氏名の表示が何人を指称するかを確定するに当り、氏または名の一のみに偏して判断すべきでないということは原則的に承認すべき論理であるから、この論理に従う限り、本件第二号投票は関連候補者群の何人を記載したかを確認し難いとの結論に落着くごとくである。
(3) しかし、本件第二号投票のようにその記載が複数の候補者の氏名に結び付くものについても、選挙人は、特段の事情がない限り、特定の候補者に対し投票する意思をもってその氏名を記載するものと解すべきであるから、投票がいずれの候補者の氏名を記載したか全く判断し難い場合は格別、そうでない場合は、いずれかの候補者の氏名にもっとも近い記載のものはこれを当該候補者に対する投票と認め、合致しない記載はこれを誤った記憶によるものか、または右候補者の氏名を誤記したものと解するのが相当である。そして、投票の記載と候補者の氏名の遠近は氏名の言語上の構成や当該地域における人名呼称の特性等諸般の事情を斟酌してこれを決定すべきものと考えられる。
(4) 本件において、前記関連候補者群に属する候補者のうち原告以外の三名は氏の三文字のみが本件第二号投票の記載と同じであるにすぎず、名の部分は右投票の記載と著るしく異なり、全体としてさしたる近似性はないのに反し、原告の氏名は冒頭の一文字を除き五文字までが投票の記載と同じであって、全体として著るしく近似する。被告は、「かとう」と「いとう」とは冒頭の一文字の文字構成、運筆、発音構成の違いがもたらす強烈な違別感、アクセントの位置の相違から言語上著るしく異なる旨主張する。確かに冒頭の一字について文字構成、運筆、発音構成の違いがあること、「かとう」と「いとう」とはアクセントの位置に相違があること被告の指摘するとおりであり、証人五十嵐昭の証言にあるように、「かとう」姓と「いとう」姓を異姓とするのが福田町民の意識であることも間違いのないところであろうが、反面、「かとう」と「いとう」とはいずれも第二字に「藤」の漢字を充てうる姓、すくなくとも「とう」という音声で結ばれる姓であるという点において類似共通の氏であることも否定できないところであり、両者を峻別し去ることは適当でない。
(5) 次に、福田町が旧福田町、旧於保村の一部、旧豊浜村の合併によって成立した町であること、昭和五〇年四月一六日現在の福田町選挙人名簿(登録者総数一万一四一七人)から同姓者の多い姓氏をみれば、<1>寺田(一〇・八八%)、<2>鈴木(八・六一%)、<3>伊藤(六・八〇%)、<4>加藤(五・九六%)、<5>大石(三・四六%)となっており、伊藤、加藤はともに五番以内に入る多数姓であることは当事者間に争いがなく、≪証拠≫によれば、原告が居住し、且つ本件選挙における推薦母体をそこの部落の自治会に持っていたところの第四投票区(旧豊浜村)について同姓者の多い姓氏をみると、登録者総数二三三一人のうち<1>伊藤六三八人(二七・三七%)、<2>加藤四一〇人(一七・八五%)とそれぞれ第一位と第二位を占めること(もっとも、第四投票区内の四部落それぞれが同じ様相を示すわけではなく、特定の部落に特定の姓が集中する場合があるが、同区全体の平均像は上記のとおりである。)、これを世帯数の面からみても、七四九世帯のうち<1>伊藤一八九世帯(二五・二三%)、<2>加藤一二三世帯(一六・四二%)と同様の順位を示していること、福田町は静岡県下の市町村の中でも同姓者が多い部類に入ること、そして、このように福田町では同氏を名乗る者が多いため、氏は個人を特定する符号として比重が軽く、公私両面の生活に亘り名を重視する実情にあることが認められ、右認定を左右するに足る証拠はない(原告が第四投票区((旧豊浜村))に居住していること、同区の世帯数が約七〇〇戸であることは当事者間に争いがない。)。福田町において個々人を呼ぶ場合には、家号、商号、通称、あだ名等が用いられることが多いことは当事者間に争いがないが、右事実は名を重視する実情にあるとの右認定と相容れないものではない。被告は名がそのままの形で用いられることは少なく、また原告がその名で呼称されることは一般的でなかった旨主張するが、右主張を認めうる証拠はない(たとえ本件選挙の投票中「みさお」ないし「美佐雄」等と名だけを記載したものが皆無であったとしても、そのことから直ちに原告がその名で呼称されることが一般的でなかったと認定すべきものではないであろう。)。
(6) 以上説明したところによれば、本件第二号投票の「かとうみさお」という記載は原告の氏名にもっとも近いものと認めるべく、原告の氏名と合致しない部分、即ち冒頭の第一字「か」は選挙人が誤った記憶によって表示したものかまたは誤記したものと解するのが相当である。
(7) なお「かとうみさお」の氏名を有する実在人が本件選挙における選挙人一般に知れた人として存在したことを認めるべき証拠はないから、右投票が特に候補者外の実在人を記載したものと推認することはできない。
(8) 以上の点に関する被告の反論はすべて採用できない。即ち、
(イ) 被告は、加藤、伊藤という多数姓については、その混同をたやすく誤記と扱うことはできないと主張するが、多数姓だからというだけでは立論の充分な理由としえない。
(ロ) 福田町が鉄道からも幹線道路からも外れた人口一万六千人余程度の小さな町であることは当事者間に争いがないところ、被告はこのような狭い地域で生活している者が加藤姓の者と伊藤姓の者を誤って記憶したりすることはほとんど考えられないというが、これまた十分に説得力ある主張とは扱えない。狭い地域の裡に同姓者が高い割合で居住している状況の故にそのような誤りもありうるとみた方がはるかに自然である。原告の場合、旧姓は寺田姓で昭和二七年に養子縁組により伊藤姓となった者で、従来福田町に居住してきたが、加藤姓を名乗ったことは一度もなく、また前記加藤姓の候補者も多年福田町に居住してきた者ばかりであることは当事者間に争いがなく、更に証人五十嵐昭の証言によれば、原告は過去二回の町議会議員選挙にも立候補したことがあることが認められるが、これらの事実のみを根拠にして被告の前示主張を肯認することはできない。
(ハ) ≪証拠≫によれば、本件選挙の投票所の投票記載台の前面に掲示された候補者氏名表には、右から二番目に「伊藤美佐雄(いとうみさお)」が、その左側に「加藤正春(かとうまさはる)」が表示されていたことが認められる。本件裁決は、選挙人が氏名表をみながら、まず「かとう」と書き、次に名を書こうとして誤って右隣りの候補者(伊藤美佐雄)の名を書いてしまったものとも判断できるとしているが、いささか事実の推論の埓を越えているものとせざるをえない。
(ニ) また、本件選挙において伊藤、伊東、加藤姓の候補者が選挙運動に使用したポスターをみるに、原告、伊藤明次、伊東金平、加藤寛、加藤梢の五名のものはいずれも氏名を一行に記載していたのに対し、加藤正春のものは氏名を二行に、即ち右側に「加藤」、その左側に「正春」と分けて表示していたことは当事者間に争いがない。本件裁決は、このことから、選挙人は「かとうまさはる」と書こうとして誤って「かとうみさお」と書いたものとも推定できるとしているが、この点も前同様に採用できない。
(8) おわりに、≪証拠≫によれば、本件選挙の選挙会における本件第二号投票の効力の決定に当って選挙長および選挙立会人全員が何ら異議、疑問もなく無効として処理していることが認められる。しかし、証人五十嵐昭の証言によれば当時本件開票事務に当った審査係は本件第二号投票を「候補者でない者の氏名を記載したもの」として同種の無効票二五票中に入れて立会人に示し、立会人がそのままこれを認容し選挙長もこれに従ったもので、特にこれを原告の有効票として解すべきか、他の候補者との氏名混記として無効とすべきか等の問題意識なくして処理したのが実情であることがうかがわれるのみでなく、地元の開票関係者に異議がなかったからといって、裁決庁たる被告がたやすくこれを尊重し、本件第二号投票を無効投票と扱うべきであるとか、無効投票と扱った本件裁決の判断を正当とすべきであるとする被告の主張は、当選の効力につき、行政不服審査ならびに訴訟の途を開いて公職選挙の適正な執行と関係者の利益保障を図ろうとする法の趣旨に添うものとはいい難い。
(浅沼 蕪山 堂薗)
(別紙)
第2号